93 「振られたな……」奈羅のことが好きだったと告白したのに、そこは完全スルーされ稀良は 落ち込んだ。 しばらく気持ちを落ち着けるために部屋に留まったが、そのあと奈羅に 続いて稀良も部屋を後にした。 ◇ ◇ ◇ ◇稀良には翌日からまた、研究漬けの日々が待っていた。 一日を終え、働き疲れ軽い疲労を抱えた稀良が白衣を脱ぎ捨ててドームの 長い廊下を歩いていると、顔馴染の摩弥《♀》に声を掛けられた。「調子はどう? なんかオーラが暗いよね」「分かってるなら訊くな」「落ち込まない、落ち込まない。今度あたしがデートしたげるからさ」「あー、ありがとさん」 「何奢ってもらうか考えとく」「おう」 軽い遣り取りをしているうちに2人はドームの外に出ていた。前方には彼ら2人の位置から5・6m先に奈羅が立っていて、明らかに 稀良を待っていたふうで、稀良に視線を向けているのが見てとれた。 「あらあら、もしかしてあの人が落ち込んでる原因? じゃぁまっ、あたしはお邪魔虫にならないよう消えるわ。またねー」「あぁ、また」 稀良に手を振り離れて行く女と稀良を、奈羅は目をそらさずじっと 見つめていた。 そんな奈羅の元へ稀良が歩いて来て声を掛ける。 「俺のこと、待ってた?」「うん……」 「フ~ン。それじゃあさ、これからデートでもする?」「うん」らしくなく、乙女のように俯いて奈羅が答えた。ふたりは肩を並べ夕暮れの中、恋人たちや友達同士と、人々が賑わう街中へと 消えて行った。 ****綺羅々の懸念していたことは現実となり、奈羅に復讐するはずが何たること……。 綺羅々は稀良と奈羅の恋のキューピットになってしまったのだった。 ―――― お ―― し ―― ま ―― い ――――
1昨日までのあたしは、平凡ながらも幸せだった。 大恋愛の末、結婚をした知紘《ちひろ》との暮らしに。……なのに、たった一日でグルリンパっとあたしの幸せが ひっくり返ってしまった。それはものの見事に。こんなことって、ある? びっくりし過ぎて涙も出やしない。 それは……ほんの小一時間ほど前の出来事。[今は夜時間]知紘が珍しく酩酊状態に近いぐらい酔っぱらって帰宅。 ドアを開けるなりいきなり、トーク炸裂。「ねね、聞いてぇー。うひひ、俺ってなんでこうモテちゃうんだろねー」「チーちゃん、気をつけて。こけそうだよ」知紘が片手を壁について、靴を脱ごうとしているんだけど、 身体がふらついていて危うい。それでも話は止まらない。「俺さぁ~、田中真知子さんからデート誘われたんだぜ。 あーっ、モテてごめんねっ。うひひっ。 あっ、おいっ、そこのおばさん、嘘じゃないぜっ。 信じてないなぁ~。ちよっと待ってみ……」 くだらないことを言いながら知紘がふらふらしながら ポケットに手を突っ込む。出してきたのは小さなカードのような名刺。 「これ、見てー」 私に手渡してきたので仕方なく名刺を見た。 『田中真知子』と保険会社の社名入りの名刺だった。 確かに知紘の言う名前と一致している。『そんな女とどこで知り合ったのよ』 知紘に聞きたいわけじゃないから訊かない。 知りたいのは本当だけど。 名刺からして、彼女の営業絡みというのはおよそ察しはつくけども。だけど今日は野球のサークルからのご帰還なわけで、どいうこと? って思うわけよ。会社に来て会ったというのでないのなら、野球の練習している場所に 彼女が来てたってことになるわよね。 「はい、はいー。見た? じゃっ、も……返してっ。 彼女さぁ、むちゃくちゃ俺好みなのよー。ドストライクぅ~」『はぁはぁ、さようでございますかっだわさ』 ここまではギリ許容範囲だった。 「んとにな、古女房とは比べ物にならんっ。あははははーっ。 真知子ぉ~、スキっ」 そう言いながら知紘は名刺にキスをした。 『ぎゃあ~、阿保タレがっ、なにを……』「ねねっ、ちょ、聞いてるぅ? おばさん」「おばさんって誰やねん」 私が訊くと、ちゃんと反応する知紘。 いらんところ
2最愛だと思っていた夫からの悲しい侮蔑の発言の数々を聞かされ、苦しくて悲しくて情けなくて胸が潰れそうだった。それは私の心を衝撃MAXの威力で破壊した。熟睡できず、うつらうつらとした眠りのあと、重い心を抱えたまま、何とか起床し食事の準備に取りかかる。台所に行くと、風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。昨夜は泥酔していて、そのまま寝たので今、シャワーしているのだろう。 ◇ ◇ ◇ ◇知紘からおばさん呼ばわりされていた美鈴は、オードリー・ヘプバーンのように上方に流れる眉を持ち、日本女性にしては凛々しく筋の通った高い鼻をしている。くっきりとではないが、富士額らしい美しい額とバランスのよいやや肉厚の唇、そして痩せているせいか均整の取れている範疇ではあるが頬骨がほんの少し出ているという、そんな容貌をしている。最後の仕上げが深い悲しみの色を湛えた切れ長の黒曜石の瞳で、美鈴の魅力を存分に引き出している。ヘアーはワンレングスのブラック、ロングヘア―。そんな美鈴には赤い色目の洋服がよく似合う。そして寂しげな風情の微笑みが……。翌朝の朝食でのこと。シャワーを終えたチーちゃんが食卓に着いた。すかさず、私はひとつの質問を投げかけた。「ねっ、チーちゃん昨日はなんかいいことあった?」「……ン~っと、そうだ、楽しかったかな。楽しかったような気がするな、でもまぁ、飲み始めてから後半ちょっと、覚えてないなぁ~。久しぶりに飲み過ぎた」「楽しかったみたいよ、帰ってきた時なんか、超ちょう、ご機嫌さんだったもんっ」「俺、楽しいっとかなんとか、言ってた?」「言葉で、楽しい……は言ってないかな。楽しそうに見えただけ」「ふ~んっ」焼いたトーストを食べている時もチーちゃんは何気にルンルンだ。「チーちゃん……」ズズっとミルク多めのカフェオレを飲む知紘に訊いてみる。「チーちゃんの中ではさぁ、『おばさん』っていくつからの線引きなのかな」
3「いきなり、なに?」「うん、私ももうすぐ30の大台だし」「美鈴は見た目25才くらいでまだまだいけんじゃん。 そーだな、おばさんねー……流石に40才越えたら おばさんのカテゴリかなぁ。 でも昔と違って今の女性は見た目が若いからねぇ~」 「そうなんだ、40代からおばさんってカテゴリに入るのね。 そっか、そっか」 「どうしちゃったの、突然『おばさん』の話って、ははっ。 今日の美鈴、変だ」 「チーちゃん、昨日家に帰ってきた時のこと覚えてないの?」「うん、そうだね。家に入ったのは覚えてるかなー」「私のこと、『おばさん』って連呼してたこと覚えてないんだ」「ブッ。そんな失礼なこと言ってないでしょ、言ってない」「覚えてないのに、どうして言ってないって断言できるの」「もし、言ってたとしても美鈴のことじゃないと思う。 誰かほかの女性のことだよ、きっと。だって俺、美鈴のこと『おばさん』だなんて思ったことないもん」 「ふーん。まっいいや。そういうことにしておきましょ」この問答があってか、チ―ちゃんはそそくさと家を出ていった。 ◇ ◇ ◇ ◇その週の週末は雨だった。 それなのに……朝から早起きしてる知紘が出かける準備を始めた。「チーちゃん、今日は雨だよ。どうして出かける準備してるの?」 「あっ、チームのみんなでカラオケ行くことになってるんだ」「チーちゃん、野球ないんだからさぁ、一緒に映画見ようよ。 Wowowの映画録画してるのもあるし、オンデマンドでも観れるし、 いいの探して一緒に観ようよ。前は一緒によく観たじゃない」「それ、今度な。ひとまず今日はもう約束してるから。じゃ、いってくるわ」「チーちゃん……」 玄関先で知紘に声掛けする私の目の前で知紘が玄関から外へとスルリと抜け出し、ドアがゆっくりと閉まる空間で私の声が空しく響いた。 『寂しいよ~』以前なら野球のない日にわざわざ出かけて行くことは なかった……と思う。例の真知子ちゃんが理由なのかもしれない。私と知紘は結婚して7年なんだけど、7年で古女房って よく考えてみると酷すぎなぁ~い? なんか、チ―ちゃんのことが分かんなくなってきた。1週間前に酔っぱらって帰って来る前は、なんだかんだ 二人の生活が楽しかった。 たった1週間のことで、こんなにも私
4「休日なのに、また今日も出かけるの?」私と一緒にいるよりも楽しい場所と楽しい人がいるんだね、たぶん。 「うん、前からの約束だからさ。行ってくる。 あぁ、晩御飯いらないから……。それじゃ」 「待ち合わせの人ってアノ真知子ちゃんなんだね」「へっ? ま、ま、マチコぉ~?」『とぼけなくていいわよ。 真知子ちゃんとデートするって、あなたが言ってたんだよ?』酔っぱらってた日にね。知紘は首を傾げながら知らないふうで玄関を出て行った。 今にも私は田中真知子ちゃんに夫を取られそうだ。 夫の様子から、このままだと取られそうなどと甘いこと 言ってられないと思った。 この勢いで夫を……知紘を寝とられるかもしれない、そう思えたから。その月の残りの土日併せた休日の4日間、夫が家で寛いだ日は 1日もなかった。 月が替わった頃、ふと思い立ち野球部が公開している インスタグラムを見てみた。 知紘がある女性の肩を抱き寄せて映っている画像を目にする。 美鈴は、この人物がたぶん田中真知子なのだと直感した。 そこでハタと閃き、今度は『田中真知子』インスタグラムと検索してみると、彼女はインスタを公開していた。驚くべきことに彼女個人のインスタにちゃっかりと知紘は恋人でもあるかのよう にパソコンの画面の中に……インスタの画像2枚に、楽し気な様子で映り込んで いた。そこは、あきらかに部屋の中だった。 部屋の中で撮影したものだ。しかも周囲に野球の関係者は見当たらない。 私は思わず叫んでいた。『真知子、それは私の夫よ。返して~』 ねねね、ちょっと、酷くない? 奥さんのいる旦那を取るなんて……人のモノを盗るなんてドロボーじゃない? そう、ドロボーよぉ。 『真知子の泥棒~』部屋の中で私の声が空しく響く。 ◇ ◇ ◇ ◇翌月の休日も夫は家に留まることなく、ウキウキと出かけて行った。堪り兼ねて、2週目の休日に引き留めてみた。◇寂しい「チーちゃん、たまには一緒に過ごそうよ。寂しいよ」「ごめん。だけど今は野球部のメンバーと親交深めときたいんだよね。 やっぱり試合の時にものすごく効いてくるからさ。 寂しい思いさせてごめんね。 アレだよ、今日は夕飯作んなくていいし家のことも適当にして
5 *美鈴と知紘の出会い、それは約8年前に遡る**美鈴の学生生活最後の年のこと。 大学から最寄り駅までの道を変えたところ、毎朝ではないものの ほとんど朝、知紘とすれ違うようになり社会人で男振りの良い 知紘は大人の素敵な男性に見えた。 それはちょうど美鈴が同級生の宗方守《むなかたまもる》と入学直後から 3年間も付き合いながら振られた直後のことだった。実際に振ったのは美鈴のほうだったのだが二股に気付いて振ったの だから、実質美鈴が振られたようなものだ。美鈴が相手を追い込まなければ、相手の男はふたりの女子の間を泳 いで上手くやろうとしていたので交際はグダグダながら続いていた のかもしれない。けれど、性格的に1人の人間を友達ならばいざ知らず、恋人を2人 で分かち合うなんていう気持ちの悪いことはできなかった。未だ、相手の男子学生からたまにメールなどが届く。美鈴はメール は勿論のこと、校内で彼に会ってもスルーしている。このような状況もあり、知紘とすれ違う朝の時間は目の保養タイム となっていった。 ********あれからたまたま学食などで出会わしたりすると、話し掛けて来る元彼の守。 これまでは、怒りMAXでひと言聞くだけでそのあとは振り払っていた美鈴。しばらく、会うことなく過ごしていたのだが、ある日のことバッタリ学食で 遭ってしまう。 この日は元彼の二股を知り、別れの言葉を叩きつけた日から20日余りが 経過していたせいか、美鈴のほうにも話を聞くくらいの余裕があった。 醒めた目をして、守の話を聞いていた。「また、連絡するな。じゃあ」ほとんど、相槌も打たずに彼と向き合ってただそこに棒のように突っ立って いただけの美鈴に守は愛想よく社交辞令でか? いつメールを出しても返事 をしない美鈴にそう言って離れて行った。振り返なければ良かった……。なんと、守が歩いて行った先は、グループになっている男子学生数名と女子 学生数名のいるところだった。 その中の1人の女子が、守が自分と二股して付き合っている女だったのだ。どこまでも舐めたことをして平気な守に美鈴は反吐が出そうになる。 いつまで、くだらない浮ついた男に心乱されなければならないのか。 あんな男の話をにこにこしながら聞いたわけではないと
6 人の気持ちは変えられないのだと改めて理解した。 夫から離婚したいと言われたら受け入れようと思う。 これ以上縋ったり、取り乱したりすることなく、話し合いができるよう 心の準備をしておかなくちゃ。それにしても、あんなに仲の良かった夫婦が2か月で……というより、 ある日を境に夫の心変わりで私たち夫婦の関係性が劇的に変わろうとは、 まるで悪い夢でも見ているような気分だ。*また月が替わり7月に入った金曜日のこと。 知紘から、晩御飯はいらないからと電話連絡が入る。会社が終わるとまた、真知子に会いに行くのだろう。 すごいね、会社での仕事を終えてからの週末、女に会うというのは 初めてのことだ。……ということは、今後度々同じことがあるのだろうと思える。 ◇ ◇ ◇ ◇ その日、私は気晴らしに近隣の森林植物園へ草花を見に行くことにした。 自然に触れて心癒されたいと思ったからだ。この季節、植物園ではアジサイが見事に咲き誇っていた。幻の花と言われている六甲の名花シチダンカなどのヤマアジサイや 六甲ブルーに輝くヒメアジサイなどが、深い色目の緑に交じり、 鮮やかに咲いていた。 私はしばらくその場所から動けなかった。 日常いかに、草花とかけ離れた生活をしてきたのかが実感された。 植物はただそこに咲いているだけ。 できることは、水分を吸い上げ誰かに愛でてもらうことだけ。自らは動けないから。 でもすごいよね、誰かに……何者かに……何かをしてあげられることは できないけれど、ただそこにあるということだけで、誰かを……何者かを……彼らの心を癒すことができるのだ。すごいぞっ、アジサイ。しばらく、アジサイの花々を堪能したあと私は、植物園内の散策コースにある道をそのままゆっくりと進んだ。 すると間もなく目の前にパステルカラーに彩られたトンネルが見えてきた。 みずみずしい色合いでグラデーションが変化していくトンネルの中、涼しげな青がきれいで、歩いているとひんやりとして感じられた。 ◇ ◇ ◇ ◇ 生まれてはじめてのトンネル体験に感心しながら歩いていると、 どこからともなく頭の中に声が、言葉が響いてきた。
7『私の声が聞こえますか』『聞こえます。これは何ですか? 誰も見えないのに何故声だけが耳からじゃなくいきなり頭の中に 響いてくるのですか?』 『信じられないと思うけれど、私は遠い恒星から来た異星人なのです。 地球人は異星人に懐疑的な人たちが大半ですが異星人は存在するのです。まずそれを理解していただけたら助かるのですが。 如何でしょう。信じていただけるなら私はあなたと仲良くしたいと考えています。 友達になってあなたの今の悲しみや苦しみを救ってあげられると 思うのですが……』 この時の私は悲し過ぎて毎日が混乱の渦中にいた。これが夢でも助けてくれると言っているのだから助けられたいと思った。 それと本当に異星人《宇宙人》だったならすごいじゃない。私は結構思考が柔軟な方だと思う。霊能者は存在すると言われれば自分には分からないけれど8割がたいるん じゃないかと信じられるし、自分の信じられる人間が 『UFOを見た、UFOはいるよ』 と言えば8割がたいるのだろうなぁと思えてしまう人間なのだ。 だから? なんか、信じてみようと思った。『初めてのことで戸惑いはあるけど信じたいと思います』 『ありがとう、うれしいです。 今からしばらく行くと木立に挟まれた道に出ます。そして少し歩いていくと休憩できる長椅子がいくつか点在しています。 そちらのどれかに座ってください。あなたの近くの椅子に少し距離をとって座ります。 私の姿は男性です。男が座ったらそちらを見てください。男があなたの方を向き右手を肩に置いてサインを出します。 その後すぐに男は、つまり私は前に向き直し、声帯を使わず あなたに話かけます。よろしいでしょうか?』『はい、分かりました。椅子を探してみます』私は半信半疑ながら、急ぎ足でトンネルを抜け、椅子を探した。
93 「振られたな……」奈羅のことが好きだったと告白したのに、そこは完全スルーされ稀良は 落ち込んだ。 しばらく気持ちを落ち着けるために部屋に留まったが、そのあと奈羅に 続いて稀良も部屋を後にした。 ◇ ◇ ◇ ◇稀良には翌日からまた、研究漬けの日々が待っていた。 一日を終え、働き疲れ軽い疲労を抱えた稀良が白衣を脱ぎ捨ててドームの 長い廊下を歩いていると、顔馴染の摩弥《♀》に声を掛けられた。「調子はどう? なんかオーラが暗いよね」「分かってるなら訊くな」「落ち込まない、落ち込まない。今度あたしがデートしたげるからさ」「あー、ありがとさん」 「何奢ってもらうか考えとく」「おう」 軽い遣り取りをしているうちに2人はドームの外に出ていた。前方には彼ら2人の位置から5・6m先に奈羅が立っていて、明らかに 稀良を待っていたふうで、稀良に視線を向けているのが見てとれた。 「あらあら、もしかしてあの人が落ち込んでる原因? じゃぁまっ、あたしはお邪魔虫にならないよう消えるわ。またねー」「あぁ、また」 稀良に手を振り離れて行く女と稀良を、奈羅は目をそらさずじっと 見つめていた。 そんな奈羅の元へ稀良が歩いて来て声を掛ける。 「俺のこと、待ってた?」「うん……」 「フ~ン。それじゃあさ、これからデートでもする?」「うん」らしくなく、乙女のように俯いて奈羅が答えた。ふたりは肩を並べ夕暮れの中、恋人たちや友達同士と、人々が賑わう街中へと 消えて行った。 ****綺羅々の懸念していたことは現実となり、奈羅に復讐するはずが何たること……。 綺羅々は稀良と奈羅の恋のキューピットになってしまったのだった。 ―――― お ―― し ―― ま ―― い ――――
92 「おねがい、ほしいの……」この短いダイアローグ《DIALOGUE》が二人の合意となった。たわわでまだ瑞々しい魅力的な乳房にはただの一度も触れないまま、尻フェチの稀良は奈羅と結合に至る。ここで稀良は綺羅々のまま退場するのがいいだろうと考え、しばらくの間、彼女との快感の余韻に浸り、そのあと身体から離れようとした。だが、奈羅の動きの方が早かった。くるりと身体をを反転させたかとおもうと稀良を下にして、彼にキスの雨を降らせ始めたのだった。その内、稀良の胸や腹にもやさしい愛撫をしかけてきた。それでまたまた稀良のモノに元気が漲り《戻り》、今度は正常位でもう一戦、彼らは本能のまま快楽の中へと身を投じていった。大好きで長い間片想いをしてきた綺羅々と二度も想いを交わすことができた奈羅は幸せだった。「綺羅々、ずっと好きだった。だから、今あなたと一緒にいるのがまだ夢みたいよ」奈羅は自分の告白に無言のままでいる隣に横たわる男に視線をやる。男はベッドの上、上半身を起こした。その髪型とシルエットから奈羅はその人物が綺羅々でないことを悟り、愕然とする。「残念だけど、俺は綺羅々じゃない」「どうして?」「言っとくけど君がしてほしいって、ほしがったんだからね。そこははっきりさせとく。俺は前から奈羅のことが好きだったからうれしかったよ。俺たち体の相性もいいみたいだし、付き合わない?」頭の中真っ白で混乱しかない奈羅は、素早く下着を付け服を着る。稀良も話しかけながら帰り支度をした。互いが衣類を身に着けたあとで、奈羅はもう一度稀良に詰問した。確かに自分は綺羅々と一緒にこの部屋へ入ったはずなのに。いくら問い詰めても綺羅々の方にどうしても帰らないといけない用事があったため、綺羅々が|自分《奈羅》のことを稀良に託して先に帰ったのだと言う。自分は酔っぱらってはいたけれど、しばらくシャワーに入るという話もしていて、絶対当初この部屋にいたのは綺羅々だったはず。だけど、酔っていただけに100%の自信が持てない自分がいた。よもや、自分がした同じような手口で復讐されるなどと思いつきもしなかった奈羅は、綺羅々を責めるという発想は出てこなかった。このまま稀良といても埒があかないと考えた奈羅は、部屋に稀良を残したまま部屋を後にした。
91 あまりの気持ち良さに奈羅は現世からどこか別の所へとしばらくの間、 意識を飛ばしてしまっていた。 意識が戻ったのは身体に別の快感を覚えたからだった。この時はまだうつ伏せ寝のままだったのだが、首筋から両肩、背中、腰と その辺りを行きつ戻りつ絶妙な力加減でマッサージを施していたはずの手の 動きに変化が あり、眠たくなるような心地良さから肉体的快感、性的感覚 を伴うものへと変わっていったのである。 奈羅は今の状況に歓喜した。ずっと綺羅々と性的関係になりステディな関係になりたいと思っていたからだ。 気付くと先程まで腰から下を纏っていたバスタオルが取り払われていた。綺羅々とバトンタッチした稀良が、しばらくの間は綺羅々と同じように マッサージしていたのだが、どうしてもバスタオルの下にある奈羅の下半身 を見てみたいという欲求に逆らえず、早々にバスタオルを取っ払って しまったのだ。 目の前に現れた形の良いぷるるんとした双丘に目を奪われ、 稀良は一瞬固まってしまった。 尻に釘付けになっている眼球に身体中の熱い血液が集中し 漲ってくるのが分かった。 もう今や、稀良の暴走しようとする勢いは理性では止められないほどに 高まっていて、手は豊満な美しい双丘を這っていた。 しばらく撫でまわしたあと、できるなら最初から触れてみたかった双丘の なだらかな斜面を下りきった所にある秘密の場所へと指を滑り込ませてい った。そして指の腹で秘所の周辺を撫で愛でていった。その時、奈羅の喘ぐような切ない吐息が漏れるのを稀良は 聞き逃さなかった。急いで稀良は身に纏っていた衣類を脱ぎ捨てマッパとなり、彼女の 上《背中》へと胸、腹とそれぞれをぴったりとくっつけた。そして首筋から肩、背中へと愛し気に愛撫を施していった。そして身体のあちこちに触れながら、一番施したかった場所へと口元を 近付けた。そこは双丘にある割れ目の根本であり、ぎゅっと両手で広げたかと思うと、 そこから舌先で秘所を弄んだ。すると、それに比例して奈羅の喘ぎ声が途切れることなく続いた。一応、稀良はジェントルマンなのでレイプ魔のようなことはしない。そんな稀良は奈羅の耳元で囁く。「していい?」すると奈羅が答えた。
90 (最終話-番外編へと続く)「シャワー終わったよ。どう、君もシャワー行けそう? それともこのまま朝までゆっくり寝とく?」 「私も行くわ。折角綺羅々との時間ができたんだもの。 朝までただ寝てるなんて有り得ない。待って、私もシャワー浴びてくる」 「急がなくていいよ。ゆっくりしておいで」 ◇ ◇ ◇ ◇「お待たせ……」「こっちに来て」俺はまだ足元のふらついている奈羅を抱き寄せる。 彼女の力が6割方抜けた感じだ。「まだ体がシャンとしてないだろ? うつ伏せにそのまま横になって。 マッサージして身体をほぐしてあげるから」「ありがと。綺羅々ってやさしいんだね」 自分がコナを掛けても冷たい反応しか返してこなかった綺羅々が部屋を とってくれて、その上抱かれる前にマッサージまでしてくれるだなんて 奈羅は幸せ過ぎて夢心地だった。 今夜のひと時が終わってもまだまだこの先も綺羅々との幸せな時間があり、 2人の未来があるのだ。 この時、奈羅は女の幸せを存分に味わっていた。 それを知ってか知らでか、綺羅々の手によって部屋の明かりが最小限に 落とされ、濃密な部屋の中、淫猥な空気が流れ始めるのだった。綺羅々は奈羅の巻かれただけのバスタオルを背中越しに腰の辺りまで ずり落とし、丁寧なマッサージを施し始めた。そして15分経った頃、後ろに控えていた稀良と絶妙なタイミングで 入れ替わった。相手は酔っている上にマッサージの施術で全く気付いていないようである。綺羅々は稀良に親指を立て、ゆっくりと静かにその場から立ち去った。 『くだらない方法だけど、仇はとったよ薔薇』 綺羅々は今いるラボ《研究所》は辞めて別の場所を探すつもりでいた。 心機一転、研究もプライベートも一から立て直そう。そう心に誓い、いろいろあったハプニングに別れを告げ、 夜明け前の人通りの少ない静謐な空気の中へと溶け込んでいった。
89 「わぁ~、あたし、どうしよう。酔っぱらってきちゃったー。 もう飲めないよ。私の代わりに綺羅々飲んで」 「はいはい、何言っちゃってるんだぁ~。天下の奈羅様が。 もっと飲めるだろ? はーい、どんどんいっちゃって」 「きついって」 そう言いながら俺がコップに酒を注ぐと奈羅は上目使いに俺のことを 見つめて、グイっと酒をあおった。 『いいぞー、その調子だ。ドンドンいけー。何も考えずガンガン飲めー』 見ていてもかなり酔っているのが分かる頃、俺は悲し気に言った。 「俺、薔薇のことが好きだったんだよね」「ん? 薔薇は……だけど薔薇はいなくなっちゃったんでしょ。 もう忘れなよ。あたしが慰めたげるからさ」 「そうだよね。ありがとーね、奈羅」「ふふん、どういたしまして」 『もうフラフラだな、コイツ』 「かなり酔ってるみたいだし、どこかで今夜は泊まって明日帰るとしますか」「はーい、さんせーい」 会計を済ませ予めとっておいたアンモデーション《宿泊施設》の 505号室に入室した。 入室すると同時に彼女はトイレに駆け込んだ。トイレの隣にある浴室を開けて確認すると稀良がちゃんと予定通り 待機していた。俺たちは改めてアイコンタクトを交わす。 「ごめんなさい、飲み過ぎたみたい。 でも、少しだけ横になったら大丈夫だと思うのよ」 「OK.じゃあその間、俺シャワーしとくよ。お先に」 俺は奈羅がベッドに横になるのを確認し、シャワールームに向かった。 実際にシャワーを浴びるのは稀良の方だ。 その間、俺はシャワールームの前で待つ。シャワーの音が止まるのを合図に上着をドア横のハンガーに掛け、 奈羅の横たわるベッドの側まで行く。
88 ―――――――― 攻略《罠》―――――――――俺はラボ内で奈羅を見つけ、飲みに行かないかと誘った。俺が真実を知っていて彼女を恨んでいるなんて知らない奈羅は、ノコノコとパブに1人でやって来た。「綺羅々が誘ってくれるなんて、あたしびっくりしちゃった。うれしー」「久しぶりだよね。あれから半年振りくらいかな。あんなことがあったのに俺、冷た過ぎたかも。何となく気になって連絡してみた。元気だった? もういいヤツ《彼》できた?」「う~ん、男友達は何人かできたけど、彼氏はまだかな」「じゃあ俺と酒飲んでも大丈夫かな」「勿論、誘ってくれてうれしかったわ」薔薇に酷い仕打ちをして悲しませた女が目の前にいる。俺は実りそうだった恋をこの女の罠でぶち壊された。今に見てろ! 俺の誘いをすっかり俺からの好意だと思い込んでいるこの勘違い女を驚かせてやろう。こんな女のこと……少しは驚くかもしれないが、さてどうだろうな。しばらくすれば落ち着きを取り戻し案外楽しむ感覚になるだけかもしれない。だが、俺に嵌められたかもしれないことはいつまでもこの女の心に残るだろ? それだけでもいいさ、何もしないよりは。つまらないことをしようとしている自覚は大いにある。俺は話題が途切れないようポツポツとだが奈羅に話し掛け、時間をかけた。何のって? 勿論、酒をどんどん勧めて酔い潰すためさ。
87その次にきた波が俺を襲う。 「稀良《ケラ》、俺は奈羅にお前を勧めて紹介できるほど親しくはない けど、お前の気持ちを成就させるための協力はできるかもしれない。 少々荒療治かもしれんが……」「どんな?」『――――――――――――――――――――』 あとは知らん、野となれ山となれ戦法だな。少々強硬手段だが上手くいくかも……もしくはいかないかも。 「いや、そんな強硬路線じゃなくてまずはデートに誘いたいっていうか、 交際の申し込みをだな……」 「俺だって親しくないんだから自分のことならいざ知らずお前の代弁とか 無理……」チャラ男のくせに目の前の男は度胸がなさそうだ。 「こうすればいいじゃないか。イタす前に了解取れば。 『いいのか?ってさ』 録音でもしとけば証拠になるだろ? それを聞けば彼女だってお前を責められないだろうし、ある意味合意 なんだからお前だって自責の念にかられることもないだろ? そのあとなら一度や二度断られてもアプローチしやすいだろ?」 「だけど一度パブで同席しただけの俺に一緒にその……部屋まで付いてきて くれるかな。自信ない」 「そこは大丈夫。部屋までは俺が連れてく。 そこのところで協力できるからこその俺の提案、この案はね」 「親しくないと言いながらそこは自信があるって……えっ? そういうこと?」 「はっ?」「彼女、お前とならアンモデーション《宿泊施設》に簡単に付いて来るって こと?」「う~ん、どうだろう簡単ではないかも。五分五分だな」 「ちょっ……ちょっと待ってくれ。 そういうことなら俺の出るまくねえじゃん」「いやいや、出てくれよ頼むよ、ぜひとも。俺、実は彼女から同じようなことされてさ、心臓止まりそうになったこと あるんだよ。だからお前の話聞いてリベンジしたくなったんだよなー。 俺もヤツ《奈羅》の心臓止めたいんだよっ。 そのせいで好きな彼女に失恋した」「恨んでるんだー」 「あーぁ、恨んでるね。 本当なら彼女Loveのお前じゃなくてどこぞの荒くれどもにその役を 任せたいくらい気分なんだよ」「あー、その役どうかどうか荒くれどもじゃなくて、俺に、この俺に してくだせー、綺羅々様」 今回のシナリオは前から考えていたわけじゃない。薔薇を失った絶望感が大き過ぎて、奈羅への復讐
86 あの日、どういうことで奈羅に付いて行ったのか? アンモデーション《宿泊施設》の同じ部屋で、まるで2人の間に何かあったかのような怪しい雰囲気の映像が無断で撮られ薔薇に送り付けられていたわけで、明らかに確信犯的犯行と思わざるを得ない。薔薇が地球上での生が終わるのを待ち、ようやく元の同じ場所同じ時間軸に連れ戻せると期待して次元と時空の狭間で待ち受け、そして望み通り薔薇を見つけることができたのに……行き違いがあったとはいえ金星でお互いが両片想いだったこともようやく確認し合えたというのに……なんと薔薇には自分との前世よりももっと遥か彼方より契りを交わしていた愛しき男がいたというではないか。探して追いかけて待って待ち続けた結果が、予想もしてなかった結果に綺羅々は男泣きをした。そして絶望に襲われた時、綺羅々の胸に憎悪とともに仄暗い感情が芽生えた。 ◇ ◇ ◇ ◇綺羅々は薔薇が金星からいなくなったしまった日から、地球上の時間軸で計るなら半年しか経っていないところへと戻った。バーの片隅で酒を飲んでいるところへ見知ったヤツ、稀良《ケラ》が隣に座った。久しぶりだな綺羅々。最近見かけなかったけど元気だった?……ってあんまり元気そうじゃないな。別の日にしたほうがいいかな。「いや、構わないさ。で、何?」「奈羅と少しくらい交流あったりする?」「あったらどうすんの?」「取り持ってもらえないかと思ってさ」腸煮えくりかえるほどの名前を耳にし、思わず綺羅々は平常心を失くすところだった。「で、いつから? 彼女と同じラボ《研究室》になって1年弱だろ」「いやさぁ、それがつい最近深夜に連れとパブに繰り出したらちょうど奈羅も友達と来ていて明け方まで相席して盛り上がったっていうか」「ふーん、それで?」「なんか、いいなぁ~って思ってさ。ただ何となく素面で誘うのって苦手なんだよな」「話が見えない……。俺に相談? 何の?」『交流あったりする?』の質問にあるともないとも答えられるはずもない綺羅々は、相手の意図するところを探ってみる。「あれから気になって、奈羅のこと」目の前のチャラ男はらしくない発言をする。目の下と首筋がほんのりと赤いじゃないか。本気なのか? それにしても奈羅の二文字を聞かされた俺はというと、吐き気がし
85「だけど、一緒には行けない。私ね、地球に産まれて永遠のパートナーがいることを知ったの。その人《夫》と長い長い気の遠くなるくらい長い時を経てまた巡り逢えて、その夫だった圭司さんが迎えに来ることになってるの。彼がね、今際の際『この世とあの世の狭間に行くことができたらそこで待っててほしい。必ず迎えに行くから』って言ったの。だから、私はここでずっと彼を待ってなきゃいけないの。綺羅々、私のことは忘れていい女性《ひと》見つけて」お互いの行き違いのあった気持ち、そして美鈴とは両片想いだったことの確認もできた。だけど、自分との出会いのあとで永遠のパートナーに出会ったという。このことが綺羅々にとっては、返す返すも悔しいことだった。綺羅々は思わず薔薇の腕を取り、再度自分の気持ちを伝えた。「僕との金星での一生を終えてからその人とまた再会すればいいんじゃない? その人はまた少しくらいなら待っててくれそうじゃない?」そう薔薇の気持ちに揺さぶりをかけてみるも彼女は首を縦に振らない。綺羅々が彼女のことを想い切れずに腕を放さないで佇んでいると……。1人の男《根本圭司》が薔薇の腕から綺羅々の手を振りほどくと「悪いね、彼女を俺に返して」と言い放ち、薔薇を抱きしめて言った。「待たせてごめん。心配したろ? 不安にさせてごめん」そうやって男は薔薇に謝りながら肩を抱き、綺羅々の前から立ち去った。自分だってどんなに薔薇を好きだっか。ずっと薔薇が人間としての一生を終えるのを待っていたのに。交際をして妻になってもらいたいと思っていたのに。こんな結末が待っていようとは……。思えば思うほどひたすらに奈羅のことが呪わしく、心の中で彼女への憎悪が膨らんでいくのを止められなかった。そして綺羅々は失意のうちに宇宙船に乗船し、金星へと戻って行くのだった。